アサラボ物語(界隈 2-1) 週刊八流 vol.03
~今週は特別編成です~
2015.09.15 コトフォトライフ
<一流でも二流でもない、八流教授の研究室物語<週刊八流>より>
週刊八流 2015年8月26日号
アサラボ物語(界隈 2-1)
1995年1月の阪神淡路大震災、4年生水野修一は出身地京都に即座に帰省した。
知人の安否を気遣って被災地を訪れた。
現地では神戸弁・大阪弁・京都弁が入り乱れ、
お互いそれぞれの地元言葉を確認しながら情報収集をした。
慌しい中、大学では卒業式が執り行われ、全員で被災者に黙祷をした。
水野は大学院生となった。しかし気持ちは被災地にあった。
時間を作っては帰省し被災地に足を運んだ。
同級生に大阪出身の加納がいた。
加納は半壊した実家の片付けに没頭していた。
研究室の話題は震災から逃れることはなかった。
大学からは構造学や地震学を専攻する研究室が被災地調査に大挙出かけた。
A教授のところにも、建築学会ではじめて建築計画学分野から
地震災害調査チームをつくるというので声がかかっていた。
調査チームは大阪の大学関係者が主体となり、
A教授も調査計画検討会や中間報告会に顔を出す程度だった。
建築計画分野としては1次避難所の作られ方と生活実態が調査主題だった。
建築学会での世間話では、誰が復興計画を主導するのだろう。
安藤忠雄だろうか。廃墟にどんな斬新な21世紀の都市が計画されるのだろう。
設計競技があるのだろうか、などとひそひそ話が横行していた。
ところが素早く再建を成し遂げたマンション管理組合が続出した。
廃墟と化した街のそこかしこにビルが建ち始めた。
復興特別措置をいち早く活用した者勝ち状態となった。
更地に絵を描くような新機軸の街はなかった。
A教授は着任して間もないH助手とともに、
水野修一の案内で神戸市長田地区と神戸市内の地域福祉センターの調査に
行くことにした。
商店街の無残な姿、人影も見えない公園に
住民管理委員会の利用規則を書いた立て札がポツンとあった。
(* 登場する氏名は仮名です。 続く 野平洋次)
【文:八流教授 写真:コトフォトライフ】
八流のブログ
http://ameblo.jp/fujizakura-no8/
~いつも訪れて頂いている皆様へ~
いつもありがとうございます
私の学生時代の恩師のブログにて、温かいメッセージを授かりました。
今週は、そのブログを原文のまま、掲載させて頂きます。
当事者間のものであり、お見苦しいところもあると思いますが
ご了解頂きたく、お願い申し上げます。 2015.09.13 コトフォトライフ
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